老人はどの様に生きれば良いのか

~神よわれらを救い給え~

私もいまや老人で社会的弱者ともいえる後期高齢者です。これをハンディーと思っていません。アメリカの大学院(ウォートンスクール)で同窓の前トランプ大統領も同年齢ですが再び出馬するようです。私はトランプの主義を好みませんがその元気さには励まされます。

さて、人生100年時代に老人はどう生きるべきか。このままでは国の財政は破綻します。一人の学生が給付型奨学金を受けると一人の老人が餓死すし、ジェット戦闘機一台購入すると2000人の老人が餓死する様な時代になります。財政に余裕はありません。(政府は老人を「切り捨てよう」としています。)

最近人気の経済学者「成田悠輔」は「老人は集団自殺か切腹するしかない」と言っているそうです。そして「麻生さんみたいな宇宙人が言ってくれればよい」とも言っています。受け狙いと思いますが、経済学者が決して口にしてはいけない言葉です。経済学者は対策を提案しなくてはいけない。この様な人がテレビに引っ張りだこで、玉川徹の様な「真実を語る人」がテレ朝のモーニングショウから実質的に降ろされるのは、権力からの圧力でしょうか。

現代における「天明の飢饉」が訪れるのでしょうか。しかし、死ねと言われてもわれわれ老人は死にたくない。政治は何をしているのでしょうか。経済学者は何を提案してくれるのでしょうか。

そこで提案があります。

最近、小学校やら大学やら元の職場やら色々な同窓会に出席して分かったことがあります。定年退職して元気な人は、ほぼ皆、趣味として自給自足の小規模農業や家庭菜園に携わっている連中です。マイペースな適度の運動は健康的ですし、新鮮な野菜は健康と幸せをもたらします。

まほろばの里・ユイ(結)トピア

~まほろはベブライ語で理想意味~

家もなく、職もない老人は都会に住む必然性はありません。都会はストレスに満ち、孤独で、住むコストも高いのです。仕事もなく少額の年金、益々削減する年金では暮らしてけない。

金もない、身寄りもない、家もない、財産もない、年金も少ない老人は、人口の少ない地域に移り住み、そこで自給自足、地産地消の有機的なコミュニティを作ればよいと思う。田舎暮らしは老人の理想でもある。ある程度自立できる人は別棟でも良いし、サポートが必要な人はグループホームでも良いし、介護の必要な人は集めて面倒を見る。各自はそのコミュニティに属し交流する。各自は可能な限り自立し、それぞれのペースで農業や漁業に携わり、余剰の産物は近隣で消費し、余裕があれば都会に産地直結で売る。野菜だけでなく、ニワトリを飼う人もいるだろうし、その他の家畜を飼う人もいるだろう。魚釣りが好きな人は魚を釣る。日用品の販売に関しては販売車両が巡回して行う。または、移動車両で皆で都市部に買い物に行く。将来自動運転になるでしょう。医療に関しては遠隔診療をベースにシステムを構築。農業の指導や機械を使った農耕補助は専門家にアドバイスを頼む(面積が広い場合は機械を共同使用)。エネルギーに関しては、太陽光や風力を蓄電し、消費する。これも地産・地消。
「結」とは日本に昔からある「助け合い」のシステムです。この様コミュニティはすでに全国的に、自然発生的にできている。政策として、行政がかかわるべきで、システムを構築し、希望する人達が利用・運用易い様にする。過疎地における雇用増進にもなるでしょう。可能な限り自立運営で行うが、介護やシステム運営ではサポートが必要でしょう。
この構想は現代の姥捨て山、爺捨て山でなく、自然と向き合う、人と向き合う、ユートピアの話です(まほろばの里)。そこには、土地という生産手段があり、自然の恵みがあり、家賃はほとんど掛からず、食費も原則自給自足、電気は太陽光発電、集団の中の個人の生活、人と向き合う、自然と向き合う生活がある。夕刻には皆で集い、多少の酒を飲む。

結果的に、都心からの移動者も増えるので、若い人は職場に近い都会で広々としたところ安価に住むことが出来る。定年後で仕事のない人は、故郷や温暖な気候のところ、温泉のあるところ、趣味の釣りとかができるところなどに移り住むことが望ましい。国家がプロジェクトを立ち上げ行政がこの様なシナリオを示せば、老人も安心します。日本の中で、必要性に合わせて人口を循環させる。

この「結トピア」を全国展開し、各「結」ノウハウを共有する。

政府は国防などのために老人を平気で切り捨てるのではなく、成長戦略を見直し税収を増やし、無駄をなくし、老人などの社会的弱者全ての人が幸せの暮らせるように努めるべきです。それが政治家の義務です。

 

Leave a comment

メールアドレスが公開されることはありません。

CAPTCHA