高等教育の無償化(または負担軽減)

教育投資は経済投資でもある。したがって賢い投資をしなければならない。大学に行かず、ICT などで個人で生涯十分学べることもあるだろう。専門学校で2年間プラクティカルなことを学び、社会にでてから学び直しをするのでも良い。何しろ今大学生は、アルバイトで、勉学する時間もないのだから。また、何も、大学という場所に長期間通わなくても学べることも多いい。モラトリアムの期間を無駄に長くするのは、苦痛な人もいるであろう。これからは、学ぶのに、大学などの場所に集まるのではなく、ICTなどで、都合の良いとき、良い場所で学ぶようになる。そのほうがコストが格段に低くなるし、今の時代に合っている。私は、皆の学ぶチャンスを減らせと主張しているのではない。時代に合った教育改革をして、より効率的な学びをすべきと言っているのだ。もともと教育無償化は民主党、民進党が主張しているものだ。安倍政権の様に、憲法改正のために取って付けたものではない。
これからは、激しい技術革新などで、常時学び直しが必要(リカレント教育)となる。一旦高等教育を卒業しても、生涯学び続ける時代が来る。職場内、地域内、国際間での労働移動性も高まり、必要とされるスキル、知識も変化する。ICTなどで、生涯学ぶ時代が来る。
ICTでは、一旦コンテンツを作成すれば、生徒が増加しても、コストはそれに伴って増加しないので、社会全体の教育の教育コストも下がって行く。今の大学も半分は必要なくなるかもしれない。また、高度に専門的なことに特化した研究所などの機関も必要であろう。教育の構造変化を急速に進めなくてはいけない。一旦就職してから研究所などで学び直すこともあろう。(例。AI研究所とか)
ICTでの学び直しのコンテンツ充実のために、行政は支援すべきである。(つまり、ICTは教育の大切なインフラとなる)。

今の高等教育の内容のままで無償化しても、卒業してから有利な就職ができず、また、今の大学のままでは、10年後、20年後に役立つスキルが身につかない。また、返って来るリターンがないので早晩国は財政的に破綻する(すでに破綻しているが)。

つまり、高等教育の無償化は軽々に論ずべきでない。教育改革を伴わなくては、国民も政府も共倒れである。安倍首相の政治努力は昨日まで森友・加計であったのに、見せかけの教育改革が選挙目当ての目玉であってはいけない。

しかし、教育の成果で成功して報酬が高くなった人が、生涯返済の義務がないのならば、国民に不公平感が広がる。従って、
無条件の無償化はオンリーの選択とはいえない。
給付型の対象を十分拡大するのもいかがなものだろうか。社会人になってから、ICTなどで学び、スキルアップする方法もある。リカレント教育もある。高卒でも、通信で大学卒の資格も得られるだろう。
日本では、教育を受けた受益者が、受益を社会に還元する意識がない。従って、やはり、返済を原則とし、特別な条件を満たした者、または、特別な状況に陥いった者(病気とかシングルマザーとか)を対象に一部免除するシステムが必要であろう。(特別な条件とは、日本が世界で貢献したいならば、医療の届かないところに行って、野戦病院かも知れないが、一定期間、無差別で医療行為をした場合とか これも平和主義を広め得る行為である、または、国連の職員として、一定期間勤務した場合とか、色々あるであろう。

また、海外留学に対してもチャンスを増大させるべきです。明治の初期より、活躍した人材は海外留学経験者が多いのです。しかし、個人の財力で留学費用を賄うことは困難です。今までは、企業が留学生を派遣していましたが、転職されてしまうケースが多いようで、制度を廃止してしまう会社も目立ちます。優秀な人には、国家が留学費用を貸与し、その人の将来の収入から返済してもらう。エリート速成のためには、今はこれが一番早い。

大切なことは、「恵まれない境遇の家族や子どもでも、努力すれば輝かしい未来がある」という道筋を示すことです。今は、東大に行くためには、塾代などの多額経費が掛かるので、その道は閉ざされている。また、東大に行っても、世界に羽ばたく人材になることは保証されない。
これでは、希望もなく閉塞感が生まれる。しかし、留学して評価の高い大学院でMBAを取得すれば、海外では初任給が2000万円という会社もある(グローバルな日本の企業もそのような人を高額で採用するであろう)。また、AIの専門家であれば、若くして2000万円の収入も得られるであろう。孫兄弟や三木谷氏の様に起業すれば、莫大な富が得られ社会に貢献することができるであろう。ジャパニーズドリームの道筋を示し、そのシステムを保証して上げなくてはいけない。
オリンピックで金メダルが減っても日本国は沈没しないが、世界の「人材オリンピック」でメダルを取れなければその国は沈没する。オリンピックや選手強化のために莫大な費用を計上しているのに、「人材オリンピック」には投資をしていない。おかしいと思う。

例えば、母子家庭の事例としよう。(母子家庭は月収20万円程度)
幼児期にネイティブスピーカーの英語を学ぶ機会の提供(一部の幼稚園等) 無償
→小学部でも英語の優位性を保持できるクラスの創設(例えば、特区)   無償
→中学部でも英語の優位性を保持できるクラスの創設(例えば、特区)   無償
→高校(例えばバカロレア校の支援、新設、また、海外の高校に留学支援) 無償
→大学(英語で授業を行う大学のコースは増えている)          奨学金貸与
→海外の大学院(MBAなど)                      奨学金貸与

*「中学受験」という選択肢があるが、中学受験をせず、IT教育を受けながら英語スキルを向上させる選択肢を与える。まず、英語は年齢が低いときに始めなければ本物とならない。これは見落としがちだ。小学校高学年になってからピアノを始めても決して一流の奏者になれないのと同じ。英語やIT力重視の小学校、中学校を創設する。(小中一貫校ならばやり易い)その後、国際バカロレア高校等で学び、留学する。または国内の同等の大学にて学ぶ。その後海外大学院に留学してMBAなどの資格を取る。大学及び大学院の学費は貸与型奨学金でよい。資格を持った人は、企業は高給で迎え入れるので、奨学金は返済できる。
従来は企業が留学生を派遣していたが、転職組が多いので制度は縮小している。ただし、すでに資格のある人材には高額の報酬を払う。

ただし、社会貢献度の高い研究のための留学ならば、給付型の奨学金でもよい(フルブライト型)。

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